ハブジャンプテレビマン

サメを命の恩人と仰ぐテレビマンエッセイ

n1091 珊瑚の産卵

美しく咲き乱れるサンゴ群、実は厳しい条件で、生き延びているのです。

サンゴの育成には、年間18度以上の海水温度と、ある程度の塩分濃度、透明度が高く、太陽光が届く条件が必要です。

しかし日本の最南端、八重山地区は、地球の母なる大河、黒潮が満たしてくれます。

また、このサンゴは、紛れもなく、口も胃もある、れっきとした動物だとの事ですが、自然界に同じ形は二つとなく、段々花畑のように作られたサンゴ郡の景色を眺めるとき、人間の作り上げた日本庭園や町並み等、比較に値しない事が、歴然と感じられます。

植物の光合成は当然ですが、サンゴは、動物でありながらも光合成をする為、太陽を食べる動物。太陽の子、と呼ばれています。

光合成の結果、カルシウムの結晶で、骨格を形成して行くとの事ですが、実は年に一度、産卵をします。

普段はザラザラとした感触のサンゴが、ある時期になると、ぬるぬる状になり、臨月を迎えます。

8月初旬、満月の夜は、サンゴの産卵日でした。

物音一つしない不気味な海底、陣痛が始まり、見渡す限りのサンゴから、数千億にも及ぶ、朱色の卵が、雪が舞う如く、一斉に放卵。ゆっくり浮上する、命の舞。

動物の誕生に、これ程神秘的な世界があったのだろうか、と感動させられます。

地上の万物は、引力の影響を受けざるを得ません。

生まれたばかりの小さな命、どうやって、引力を振り切り、浮上するのだろうか。

そして、サンゴの群生する、水面2メートル前後の水温は、対流となり、横からの緩やかな潮流と交差し、縞状水温を形成。

優しく体を舐め、放卵された、無数の卵が、潮の流れになびく時、ふっと、水中に吹く風を感じさせてくれます。

暖かい南海で水着のまま感じる吹雪、生涯一度体感するのもいいのでは・・

生まれたばかりの小さな命は、浮上と同時に大空へ産声を上げ、さざ波のゆり籠に揺られての、旅立ち。

漂う卵は、殆んどが、魚の餌食になる中、万分の一個が、別な場所に辿り着き、そこを生涯の棲家とし、立派なサンゴへと成長して行く。

n1089 島ザル

ひかるがVTR問題で仮眠の連続、死闘を繰り広げていた頃、家計は火の車であった。

食事は殆んど外食、疲れるので、たまにはビジネスホテルに泊まる事もある。

全てが会社の伝票で落とせる訳ではなく、小遣いが足りなくなると、女房が爪に火を灯して蓄えたお金を、むしり盗るように持って行く。

団地住まいで、奥様族は、週に1、2度しか帰って来ないひかるを見、

「あの男、顔に似合わず、やるわね!」

「間違いなく女がいるのよ!」と井戸端会議だ。

当然、女房の耳にもそれは届いてしまった。

そして、二人の子供を抱え、貯金は底をついていたのである。

疲れ果てて帰って来たひかるの顔を見ると、女房は爆発した。

「母子家庭なら覚悟のしようもある!」

「しかし、もうこの貧乏生活、我慢出来ない!!」とテーブルをひっくり返し、怒鳴り付けたのである。

角が出る、なんてものではない。

針千本、いや、角千本だ!

さんまもびっくり、前歯をとんがらし、今にも噛み付かんばかり、恐ろしい形相だ。

次から次、出てくる言葉は、ひかるの脳に、あらゆる角度からブス、ブスと突き刺さる。

「もう、あんたの顔を見るのも嫌だ!」

「もう、これ以上の貧乏は、嫌だ!」

「出て行け!」

「あんたなんぞ、地球の裏にあるという、貧乏王国へ行けばいい!」

「即、大統領、間違いなし!」と。

がなるだけがなって、まだ足りないのか、周りにあるものすべて叩き割り、子供を連れて実家へ帰って行ってしまった。

ひかるは、なすすべもなく、一人酒を飲むしかなかった。

翌日、どう対応すべきか、ひかるは早めに仕事を切り上げ帰ると、女房と子供達が舞い戻っていた。

どうしたのだ、と聞くと、結婚当時、猛反対した親は、手ぐすね待っていたかの如く、あの沖縄の島ザルは、最初からものにならない、躾けはなっていないし、どうしようもない男だと、ありとあらゆる悪口雑言を並べ、すぐにでも離婚すべし! と急きたてる。

人間として扱われない悪口雑言に、今度は、女房が切れた。

冗談じゃない! 曲がりなりにもコツコツ洗濯機、冷蔵庫を買い、子供達まで出来た。

何んの援助もしなかった親ではないか!

こんな所で、父親の悪口雑言を子供達に教え込まれたら、まともな子に育たない、と舞い戻って来たのである。

ひかるは、土下座をして謝った。

そして、ほんのちょっと、もう少しだけ時間をくれ。

今の放送業界、誰も気がつかない。自分がやるしかない。

などと、大言壮語、まくし立てたのである。

業界がどうのこうの・・・女房にとっては、へったくれもクソもない事だが、聞くだけ聞いてやった。

女房は、どうも貧乏神から逃がれられそうにもない、どうせなら、とことん貧乏を舐め尽くそう、と開き直ったのである。

お酒が飲みたい、と言うので、注いでやると、気持ちがほぐれたのか。

「今後は、あんたの事、貧乏王国大統領閣下と呼ばせてもらいますわ・・」

閣下様、私も、立派な大統領夫人になって見せるは! と笑顔を見せてくれたのである。

めでたし・・・めでたし・・・

勿論、ひかるは深く反省、その後、家庭を大事にしたのである。

それにしても、貧乏王国大統領、クーデターを起こすような人は、なさそうだ。

無期限任期は、辛いよう・・

野党の皆さん、お願いだ!

総理大臣を引き擦り下ろす前に、この大統領、引き擦り下ろしてくれ!!!!

n1088 NASA

当時、可搬型VTRとして、あのNASAが軍事偵察機用に開発した、VRー3000なる機種が、国内では4,5台導入されていた。

どういう訳か、その機種が、ひかるの会社にあった。

設立時、TBSとフジテレビが折半出資、別々に確保するよりは、子会社に持たせ、両局で使用出来る、という事で、導入されたらしい。

当時は、カラーテレビが飛ぶように売れ、大企業はフィルムCMから、色再現の良い、VCM作りに軸足を移しており、このVRー3000が威力を発揮していたのである。

オペレーター一人付で、日だて15万円でも、飛ぶように注文があった。

ひかるは売れれば売れる程、早く可搬型国産機開発の必要性、反米感情が日に日に増していった。

当然、ソニーも可搬型、Hー500という機種を開発しておりフィールドテスト中だが、どうにも訳の分からない回転エラーが出る。

チェックをするとOKで、エラーの原因が、全く掴めないのだ。

事故日報をピックアップし、気になる事があったので部下にその日の天候を調べさせた。

やはり雨が降っており、それが原因だが、室内での使用でなぜ?

その事をソニーへ連絡、しばらくして原因解明OKの連絡。

湿気でテープのツルツル裏面の貼り付き現象が出ているとの事。

湿度による微妙な事でエラーが出ていたのだ。

さすがソニーで、世界中の支店へ打電し調べ上げ、湿度の一番高いのはボルネオとの事。

それ以上の湿度でも稼動するよう設計変更。Hー500は全世界へ輸出され制覇していったのである。

VRー3000と並べて使うと、桁違いの性能。これでアメリカ製VTRを抹消出来た、と。

VTRは平坦な所で、そっと置いて使う精密機械、しかしひかるはトラックの荷台に紐で結え付け移動使用、どんな地震でも稼動する事を求めたのである。ひかるが立ち上がり、オメガ方式へ切り替える事が出来た。

出来なかったらと考えると、オートスレーディング、カセット化は難しく、途中から方式変更、と言う事態になれば、莫大な費用が掛り、番組内容にも影響したであろう。

そして、一番大事な事は、日本のVTRが全世界で認められた事だ。

南端の小さな島で、ランプの灯りで育った少年の目、どこかで垣間見たカセット、いずれ放送現場でも使われるだろう、と10年先を夢に描いたのである。

n1087 オメガ方式発進

この昼メロが放送されるとソニーから電話、キー局がオメガ方式、大量の発注があったと歓喜の連絡が来た。

以後、あっと言う間にオメガ方式に切り変わっていったのである。

それどころか、ソニーは、海外でもその一インチを売り捲り、世界中でこのオメガ方式が統一方式となったのである。

編集システムを担当させた、ひかるの部下K君は、三越とフジテレビが折半出資、アルタスタジオを設立するとの事で、そこへ移籍させた。

今も元気で頑張っているようである。

また、K君は昼メロのヒロインと結婚。

ひかるは、上司として大勢の前で主賓挨拶。

しどろもどろで汗をかき、恥をかいて大きく成って行ったのである。

今なら書ける。***ソニーと方式問題で画策している時、フジテレビの予算執行、発注出来る立場にある、お偉さんから呼び出しを食った。

「君は、親会社、キー局にタテついて、あらぬ動きをしているようだけど、やめろ!

親会社から、一言いけば、君のクビなんぞ、すぐ飛ぶぞ!」と、脅しというよりは、脅迫だ。

ひかるは、承知しましたと、そこを出ると、すぐさま「開発に拍車をかけるべし!」とソニーへ電話したのである。

夜は一人でいつもと違う焼き鳥へ行き、じっくり考えた。

業界全体を考えるべき立場の人が、自分のメンツばかり考えやがって、なんてケツの穴のちっちゃい奴だろうと、情けなくなった。

「ひかるの首を、袈裟掛け、みじん切りにしたとて、一文の得にもならない、やるんならやって見ろ!」と怒りが込み上げて来た。

ひかるは、今まで以上に、意地でもなんとかしてやろう、と固く誓ったのである。

n1086 ノーベル賞

日本の映像技術の原点にはノーベル賞が絡んでいた。

当時CCD搭載カメラとオメガ方式VTR。BVH-500の電源にリチューイオンBP-90バッテリーが使われアメリカでは想像不可能。

デジタル先進国アメリカがどうしても日本に勝てなかった訳である。

更にビデオ編集にはとんでもないアイディアが組み込まれていく。

電車の線路と枕木、スピード串刺しが編集に使われたのだ。

線路を見て分かると思うが等間隔に枕木がある。

ビデオで言うとその枕木がワンフレームという事だ。

一秒間に30フレームだが枕木が30個あると思えば良い。

ねるとん求婚番組ではロケカメラ VTRを常時四チエーン使っていた。

30分テープを装着し同時スタート、ガチンコ映像を4台とも入れ止めない状態でそのまま30分間4台のカメラVTRが動き回って収録。

これでワンロール終了、ツーロール、スリーロールも同様にして収録していく。

編集時に、再生に4台、収録に1台、計5台を用意しVTR映像を列車に見立て、5台共真横から串刺しに固定、回転をロックする。

もちろん枕木、いわゆるタイムコードも横一列にロックさせる。

ガチンコ映像をそろえ、串刺しにした映像列車を同時にスタートさせ、記録されている4台の映像を5代目の編集テープに平行移動していくのだ。

再度ガチンコの映像に戻しスタートさせ、編集テープに黒味があれば埋めていけばいい。

モニターは大きめのモニターを4分割し再生映像4台の画を5台目の編集VTRへ嵌め込んで行く。

上に編集用のモニターを乗っけておけば、編集が今迄の編集では考えられない、とんでもないスピードで簡単に出来る。

勿論、今では線路を5本6本なんて言わずに30本50本なんて発想も出来る。

ひかるは世界初のVTR編集センターを稼働させたがその原点は上記の電車と枕木、串刺しの発想が40年前に有ったのだ。

日本の映像王国には編集面で革新的な知恵が使われました。

映像クリエイターやユーチューバー等の分野を目指す人は参考にして下さい。

技術的な事はソニーとリンクし、VTRと編集システムを同時に発売すると飛ぶように売れ、必然的に日本の放送VTR方式、ひいては世界のVTRが日本のオメガ方式VTRで独占された。

ひかるは当時、150人の部下を抱え、ドラマや音楽番組、スポーツやバラエティー、海外ロケから水中撮影、カメラや音響、照明などのスタッフ手配、番組内容把握、目の回る忙しさだが、それと並行して、編集システムの開発だ。

連日連夜、仮眠状態である。

そして編集システムが完成した頃、東宝から連絡があり、昼のメロドラマを日本製一インチVTRで制作し、放送しようとの話が持ち込まれた。

東宝、フジテレビ、ひかるによるプロジェクトが始動したのである。

もちろん、バックには、ソニーとひかるの連係プレーがしっかり出来ている。

世界初、一インチ編集システム、一インチVTR帯ドラマの放送が実現したのである。

その間、ひかるの行動は、死闘の二乗と言えるだろう。

昭和54年、1月から放送された昼メロVTR帯ドラマ{津軽海冬景色}は、世界初一インチ収録編集、業界に衝撃を与えた。

n1085 デジタル編集

このデジタル編集方式はソニーのオメガ方式とセットで発売されあっという間に世界制覇、

VTR産業で世界を席巻していたアメリカアンペックス社は完敗したのである。

このサイトは10年も前に立ち上げられましたが、当時から個人放送局という名称を使ってます。

現在ユーチューバーやビデオクリエイターなどという言葉をよく耳にします。

10年前このサイトを見ていち早く個人放送をやっていれば今頃はかなりヒットしていたのではないだろうか。

テレビの世界では40年以上も前から、ブルーバックにし、ブルーを抜き取りビデオ信号を合成するクロマキーという技術が使われて来ました。

もしも貴方が歌手だったとしましょう。

音楽のスタート10秒前に爆竹の音を入れて録音しておきます。

ブルーバックの前でそのオーディオで演技をします。激しい動きであったりダンスであったり。

それをカメラ二台で録画し、音楽が終わるとまた前の爆竹のところにスタートを合わせ再度動作を録画します。

カメラのアングルやズームを変化させ十回ほど同じ事を繰り返し録画。

結果ブルーバック合成で20種類のビデオが出来上がります。

それを21のレールに見立て、上記の通り枕木をロック、列車を横から串刺しにし、21種類のフレーム画を平行移動させて編集。

完成ビデオを5,6種類作ります。これで貴方は素晴らしいユーチューバースターになれるでしょう。

多重録画と多重編集、簡単に出来ます。参考にしてみてください。

当時、ひかるは部下を毎年アメリカ偵察へ出張させ、アメリカの映像情報は逐一把握していた。

そして、開発の途に付いたばかりのオメガ方式をソニーへ乗り込み、数年の間にオメガ方式に決定。

命を懸けたその間の裏話などは、数冊の本になるくらいであるが、ここでは割愛する。

方式が確定すると、映画界、VTR産業、CM産業、放送業界は一気になだれ込んで来たのである。

東洋現像所は現IMAGIKAを設立、ボウリング場を借り切り電子編集を主にフイルムから変換して行った。

納入されたオメガ方式機種はBVH-1100だが、ひかるはその前のBVH-1000で電子編集を試みていた。

しかしひかるにはもう一つテーマがあった。

ロケ技術の遅れでクイズやワイドショーなどスタジオ中心の番組内容に、何とか外の映像を茶の間に届けたい、という夢だ。

これもタケシの元気が出るTVやねるとん紅鯨団などで実績を作り一段落した頃、ひかるはやおらアメリカ偵察へ出かけた。

ロスの知人と数十年ぶりに会う事にしたが、アメリカ人を同伴して来た。

一段落すると、その米人がひかるの隣へ来。

貴方を日本へ帰す訳にはいかない、としゃべり出した。

何が何んだか訳が分からない。

よく聞くと、これからメディアを買収する。

だから貴方にはその放送局をやって貰いたい、と言い出したのである。

日本では無名のひかる、あのNASA開発の超精密機械をあっと言う間にこの世から抹殺。

世界初の電子編集システムを稼働させた男としてマークされていたようだ。

このアメリ拉致事件以後、ひかるの渡米は抹消。