2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧
年齢的にはタケシとテリー伊藤君の間、番組作りはベテラン中のベテランで、不慣れなテリー君のフォローとタケシの間を取り持て、と指示。またMカメラマンはフジテレビ日曜日ゴールデンタイム8時からの萩本欽一「オールスター家族対抗歌合戦」のチーフカメラ…
話はタケシの話に戻す。タケシは20代ツービートで漫才をやっていたがチョボチョボでヒットしなかった。当時は大阪の上方漫才、西川ヤスキヨがブームで、東京では萩本欽一と坂上二郎のコント55号、伊東四朗のテンプクトリオやドリフターズが人気。テレビ界で…
タケシの番組でロケを担当させたMカメラマンを、ねるとんに起用、ロケの経験が豊富で、他のカメラマンとの連携がスムーズに行ったのである。勿論オールロケで、これ程充実した内容の番組が出来る、という事で、業界では予想以上の評価を得る事になったので…
この番組の放送時間帯は、不毛の時間帯と言われ、なかなか視聴率がとれない売り物にならない時間帯だったが、一変したのだ。この番組が放送されると、業界の人達から見ると、中継車を持ち込んで、かなりケーブルを引き回し、番組が作られていると、思ったら…
ねるとんでは、今までにない,まったく新しい多重ロケ方式が採り入れられた。常に、4台のカメラとVTRが対になっており、同時にスタートさせ、テープが終わるまで、一切ストップをさせない。4台のカメラVTRが回っている状態で、映画で使われていたガチィ…
ロケを採り入れた番組を作りたい、誰もが考えうる発想だが、具体化するには何らかの着想が不可欠だ。当時のロケ、一番の難点はバッテリー問題だった。ひかるもカーバッテリー等、あらゆるバッテリーを考え、実験したが、やはり無理だった。試行錯誤、明けて…
20代後半、沖縄が本土復帰をする。ひかるは大事にしていたパスポートを焼きすてた。ひかるの中で何かが吹っ切れたようだ。そしてちょうどその頃、社内には、一大異変が起きていた。第一期入社の同期の連中は、管理職として、各部門を統括していたが、より…
東通は、TBSから社長が送り込まれ、経営陣もTBS色が強かった。第一事業所がTBS内に置かれ、第二事業所が、フジテレビ内に置かれた。頭が良く、入社試験の成績の良い奴が、TBS内第一事業所に、配属されたと言れたが、たぶん事実であろう。TBSはドラマ制作に力…
野球放送は、巨人戦を中心に編成されている事は言うまでもない。野球ファンの5割は巨人ファンと言われ、アンチ巨人が2割いるとすれば、7割が巨人戦、観戦という事になる。同時間帯に、巨人戦以外のカードを放送しても、なかなか視聴率が取れないのである…
昭和30年代、NHKに続き、4チャンネルの日本テレビ、6チャンネルのTBS、8チャンネルのフジテレビ、10チャンネルのテレビ朝日、12チャンネルのテレビ東京の順に、民放は開局していった。NHKは、ニュースが主体で、民放は、王、長嶋選手が活躍する野球…
避難場までは、1キロくらいあり、風速70メートルの逆巻く突風は、前後左右から揺さぶって吹き、決して同一方向から、均一的に吹いて来ません。会話は嵐の中へ千切れ飛び、痛い程叩き付ける雨に、目も開けられず、風圧で、息をする事すら苦しく、顔をあげ…
台風
ひかるが小学校へ入る前の出来事で、瞬間最大風速70メートルくらいはあったでしょうか。大型の台風が、島を直撃。平たんな島は、風圧をまともに受け、遮る物は何も有りません。電気は無く、真っ暗闇の真夜中、轟音渦巻く風の音、激しく叩き付ける雨の音、…
ひかるが、南の島へ帰郷した際、ある85歳のおじいちゃんと、ゆっくり話をする機会が有りました。おじいちゃんは、10人もの子だくさんで、孫やひ孫を数えると、40人は、いるとの事。子供達は、高校がないので、一度島を離れますが、もう二度と島には帰…
上京直後、組み立て配線工として働いていた時、またまた大失敗です。昼食には、出前をとっていました。食べ物の名前は初めて聞くものばかりです。周りの注文を見聞きしながら覚えていこうと考え、真似をする事に決めこみました。初日は、天丼、ラーメン、チ…
焼き飯
前席の女高生だと思われる女の子が、あれ~と甲高い声を出し、椅子を軋ませ逃げ出す。周りの客は、針でつっ突かれたかの如く、一斉に注目。見るとテーブル上は、運悪く、ツユが前の方へ流れています。娘が飛んで来て、ツユを拭き、お客に誤り、調理場からも…
おおもり
だけどいいや・・・おそらく、そばの下に、ご飯がたっぷり有るだろうと、一人合点し、空腹から湧き出る食欲と、生唾を飲み込む。さあー食べようか!初めての食べ物、食べ方が分かりません。大もりの下に、お盆があるのですが、隣の客には敷いてありません。…
毎日が、ひもじい思いをし、夢にまで食べ物が出てくる上京当時の出来事。一度でいいから、腹一杯ご飯を食べてみたい、という願望を叶えるべく、アルバイトのお金が初めて入った時、思いっ切り食べようと心に決め、外食をすることにしました。子供の頃から、…
早速、翌日から職探し。皿洗いや組み立て配線工、自転車での配達等経験しましたが、日給が5百円程度と安く、生計を維持するには無理がありました。そこで日給8百円で、なんとか生活可能な、トラックの助手の仕事を見つけ、会社の寮へ入れてもらいました。…
現在の飽食時代、パンの耳で過ごす事等、考えられないかも知れませんが、日記に昭和40年当時の状況を見る事が出来ます。「3月29日、月曜日、今日は朝から会社は休み、給料日は目の前だけど、どうしても金が不足。しかたないので、電子工学、図解パルス…
今考えると栄養状態は極度に悪く、凍死寸前の状態だったのです。食べ物が欲しい・・。着るものが欲しい・・。誰か話し相手が欲しい・・。頼る人が一人でもいてくれれば・・・お金はみるみる底をついて行き、孤独、辛さに、このまま生き続けられるのだろうか…
ひかる19歳。パスポート持参で、貧しい中での上京。頼る人とて無く、バイトに夜学。バイトの金が入るとラーメンを箱ごと買い込み、コッペパンとの連続。食べ物さえ確保するのが大変な時期でした。何時ものパン屋へ行った、ある日の出来事。顔色は浅黒く頬…
大勢の人が行き来し、ビルへ吸い込まれていく様子を見た時、これはアリンコの世界だと直感。家の庭に数えられないくらいのアリ達が、それぞれの巣を作り、せっせせっせかと働き、食べ物を蓄えていた姿にそっくり。東京の人々が一段と小さく見え、何んで人間…
急に走り出す事を全く想定していなかったので、心の準備が出来ておりません。いきなりバランスを崩し、「どう成っているんだ! あー あ~!」と見事に転倒。瞬間、恐怖と驚きで頭の中は大パニック、「止めろ! 止めろー!」と絶叫してしまったのだ。周りは何…
発電車(ちなみに、徳島の読者より我が県に電車が無い、沖縄にはモノレールがあるではないか、との指摘をうけた。ひかるが上京時、モノレールはなかった)
昭和38年4月、一週間も船に揺られ上京。沖縄は電車のない県ですが、島には車や耕運機すらなく、電車という乗り物は初めての体験。(現在はゆいモノレールが走っています)けたたましく責め立てるベルに、前の人に連られ急いで乗り込みました。すると、あ…
今更、船から飛び降り戻る訳にはいかない・・戻れない・・親子の全てを断ち切った!木の葉のような橋渡船の父に、最後の別れを一言。「許してくれ! 息子は亡き者と、諦めてくれ・・!」心底絞り出す言葉は、声になりません。千切れんばかりに手を振り、今後…
年老いた両親と、体の不自由な妹を島に残し、旅立つ息子は親不幸なのだろうか・10歳の遊び盛りに、足の不自由な妹の遊び相手は誰がするのだろうか・・何時迄も、何時までも、元気に暮らして欲しい・・・夕陽は周り一面を真っ赤に染め、西の海へ深々と物悲し…